『遺言書の破棄・隠匿』で相続権が消滅!?欠格事由の恐怖
田島慎一は五十五歳。八十七歳で亡くなった父・修造の自宅で、遺品を整理していた。母はすでに他界し、相続人は慎一と、弟の浩二、妹の美和の三人。父の介護を続けたのは、同居していた浩二だった。慎一は、仕事を理由に、ほとんど実家に寄りつかなかった。
仏壇の引き出しを探していた慎一は、一通の封筒を見つけた。表には、父の筆跡で「遺言書」とある。慎一は、その場で封を切り、中の便箋を読んで、顔色を変えた。自筆の遺言書は、家庭裁判所の検認を受けるまで、開封してはいけない。そんな決まりを、慎一は知らなかった。自宅は浩二に、預貯金の多くを美和に、慎一には預貯金五百万円だけを相続させる、という内容だった。遺産の総額は、自宅の約三千五百万円と、預貯金の約二千五百万円で、合計約六千万円。法定相続分なら二千万円は受け取れるはずだ。慎一は、胸がざわついた。
「親父は、浩二に言いくるめられたんだ」。慎一は、そう自分に言い聞かせ、遺言書を細かく破いて、ごみ袋に入れた。ほんの出来心だった。燃やしたわけでもなく、少し隠しただけだ。遺言がなければ、三人で分けることになる。そう考え、何事もなかったように、浩二と美和には黙っていた。
四十九日の法要のあと、三人で遺産の話し合いを始めた。慎一は、さりげなく切り出した。「遺言はなかった。法定相続分どおり、三等分でいいだろう」。浩二は、黙って自分のスマートフォンを取り出した。画面には、数年前に父から送られてきた、遺言書の写真があった。「父さんは、遺言を書いたとき、俺たち二人にも写真を送っていた。兄さん、遺言書は、どこにあるんだ」。
慎一は、返事ができなかった。額から、冷たい汗が流れた。浩二と美和は、父の思いを踏みにじられたような気持ちで、弁護士に相談した。弁護士は、二人に説明した。「民法では、相続に関する被相続人の遺言書を、偽造、変造、破棄、または隠した人は、相続人になれないと定められています。これを相続欠格といいます。裁判所の手続きを待たず、法律上当然に、相続する資格を失います。ただし、本人が争えば、最終的には裁判で確定させることになります」。
慎一は、弁護士から送られた書面を読んで、青ざめた。破り捨てた事実が明らかになれば、欠格に当たる可能性が高い。慎一が、自分に不利な遺言書を、自分の取り分を増やす目的で破棄したと評価される可能性が高かった。判例も、相続で不当な利益を得ようとする意図があったかどうかを重視する、と弁護士は付け加えた。欠格になると、遺産を受け取る権利だけでなく、遺留分も認められない。遺言書どおりなら受け取れた五百万円、さらに遺留分としての約千万円も、すべて失うことになる。
慎一は、観念して、事実を認めた。弁護士は、遺言書の破棄は、刑事上の責任を問われる可能性もあることも伝えた。弁護士を通じ、遺産分割は遺言書の写真の内容に沿って進めること、慎一は一切の請求をしないことで、合意書が交わされた。慎一に子どもはおらず、代襲して相続する人もいなかった。慎一は、一銭も受け取れなくなった。
慎一は、今、こう話す。「ちょっと隠しただけ、という軽い気持ちが、すべてを失う引き金になった」。遺言書を見つけたら、開封せず、家庭裁判所の検認を受けること。内容に不満があっても、破棄や隠匿をしないこと。それが、自分の権利を守る、いちばんの近道だと、慎一は後悔とともに語っている。
学びのボックス
| 相続欠格とは | 民法891条が定める、相続人の資格を法律上当然に失う制度。裁判所の宣告は不要で、遺留分も認められない。 |
| 遺言書の破棄・隠匿 | 相続に関する被相続人の遺言書を偽造・変造・破棄・隠匿した人は欠格になる。不当な利益を得る目的があったかが重視される。 |
| 欠格の効果 | 遺言による遺産も、遺留分も受け取れない。欠格者に子がいれば、その子が代襲相続する場合がある。 |
| 遺言書を見つけたら | 自筆証書遺言は開封せず、家庭裁判所の検認を受ける。検認前の開封は過料の対象になる。内容に不満があっても手を加えない。 |
| 争いになったとき | 欠格を争う場合は裁判で確定する。遺言書の写真やデータが証拠になることもあるため、生前に写しを家族と共有しておく。 |
