『香典・祝儀・供花代』は誰のもの?葬儀費用控除との相殺の落とし穴[相続のお話]

『香典・祝儀・供花代』は誰のもの?葬儀費用控除との相殺の落とし穴

松岡悟は五十二歳。八十五歳で亡くなった父・正二の葬儀で、喪主を務めた。母はすでに他界しており、相続人は悟と、弟の直樹の二人。父は地域の世話役を長く務めていたため、通夜も告別式も参列者が多く、集まった香典は、受付の集計で約三百万円にのぼった。供花や供物も、あふれるほど届いた。悟は、受付の芳名帳と、頂いた金額を、几帳面にノートに書き留めていた。

四十九日が過ぎて、遺産の話し合いを始めたとき、直樹が口を開いた。「兄さん、あの香典は、父さんに対するお悔やみだろう。だったら、遺産に組み入れて、二人で分けるべきじゃないか」。悟は、思わず言葉に詰まった。父の看病も、葬儀の準備も、ほとんど自分が担ってきたという思いが、胸をよぎった。悟は、葬儀社への支払いや、お寺へのお布施を、父の口座が凍結されていたため、自分の貯金から立て替えていた。その額は、葬儀社への支払いが約二百三十万円、お布施が約五十万円で、合計約二百八十万円。さらに、香典返しにも約八十万円が必要だった。

二人は、相続で世話になった税理士のもとを訪ね、意見を聞くことにした。税理士は、まず香典の性質を説明した。「香典は、亡くなった方への贈り物というより、葬儀を営む遺族を支えるために、喪主や遺族に贈られるものと考えられています。裁判例でも、香典は喪主への贈与であって、亡くなった方の遺産ではないという見方が一般的です。ですから、遺産分割の対象にはなりません」。

直樹は、納得のいかない顔をした。「でも、父さんの葬儀の費用は、遺産から出すものではないのですか」。税理士は、うなずいた。「そこが、整理すべき点です。葬儀費用を誰が負担するかは、裁判例でも、喪主が負担するとするものと、相続人全員が負担するとするものに分かれます。香典を葬儀費用に充てたうえで、足りない分を分担する、という整理もあります。兄弟で合意するのが、いちばん確実です」。

話し合いの末、二人は、葬儀費用の約二百八十万円を、遺産の預貯金から悟に精算することで合意した。香典は悟が受け取るが、香典返しの費用は悟が負担する。直樹も、兄が立て替えた金額を知って、「兄さんにばかり負担させて、悪かった」と頭を下げた。

次は、相続税の話だ。税理士は説明した。「香典は、社会通念上相当な範囲であれば、相続税も贈与税もかかりません。一方、葬式費用は、遺産の総額から差し引くことができます。葬儀社への支払いや、お布施、通夜の飲食費などが対象です。ただし、香典返しの費用や、四十九日などの法要費用、墓石の購入費は、葬式費用に含まれません」。さらに、香典の金額を、葬式費用から差し引く必要はないという。

遺産の総額は約五千二百万円で、基礎控除は四千二百万円。葬式費用の約二百八十万円を差し引くと、課税遺産総額は約七百二十万円となり、相続税の総額は約七十二万円。葬式費用を引かなければ、約百万円だった。悟は、お布施や心づけまで含めて、領収書とメモを保管しておいて、本当によかったと感じた。領収書のない支払いも、日付と金額、相手を書き残していたため、申告の際に説明できた。

悟は、友人にこう話している。香典は喪主のものとして扱うのが一般的だが、葬儀費用の負担は、兄弟で話し合って決めておくこと。そして、葬式費用の控除を受けるために、領収書やメモを残しておくこと。それが、悲しみのあとの争いを防ぐ、いちばんの方法だったと、悟は考えている。

学びのボックス

香典の法的性質香典は喪主や遺族への贈与と考えられ、亡くなった方の遺産ではない。遺産分割の対象にならないのが一般的な整理。
香典の税金社会通念上相当な範囲であれば、相続税・贈与税はかからない。香典の額を葬式費用から差し引く必要はない。
葬儀費用の負担者喪主負担とする裁判例と、相続人全員で負担するとする裁判例に分かれる。兄弟で合意し、精算方法を決めておくと確実。
控除できる葬式費用葬儀社への支払い、お布施、通夜の飲食費などは控除できる。香典返し、法要費用、墓石の購入費は葬式費用に含まれない。
申告実務の備え領収書がない支払いも、日付・金額・相手を記録しておく。控除の有無で相続税が変わるため、税理士に確認する。

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