『相続放棄』したのに『生命保険金』は受け取れる?非課税枠の計算
小林誠は四十歳。父の昭夫は、六十八歳で亡くなった。昭夫は小さな工場を経営していたが、数年前から業績が悪化し、銀行や取引先への借金が積み上がっていた。母はすでに他界しており、相続人は誠と妹の理恵の二人。遺品を整理すると、借入金の合計は約八千万円にのぼることが分かった。自宅は借地で、めぼしいプラスの財産もなかった。
二人は弁護士に相談し、家庭裁判所に相続放棄を申し立てることにした。相続を知った日から三か月以内という期限があるため、葬儀のあとすぐに動いた。数週間後、家庭裁判所から受理の通知が届いた。借金を引き継がなくて済むと、兄妹は胸をなで下ろした。父の工場の片付けは、取引先に頭を下げながら、つらい思いで進めた。
ところが、放棄の手続きの途中で、保険会社から連絡が入った。「昭夫さまが加入されていた死亡保険について、受取人はお二人です。保険金の合計は六千万円になります」。誠は驚いた。父の通帳にも、保険料の引き落としが続いていたことに、気づいていなかった。父が、いざというときのために、生命保険をかけていたのだ。しかも受取人は、誠と理恵に、三千万円ずつ指定されていた。
誠は、不安になって弁護士に尋ねた。「放棄したのに、保険金をもらっていいのでしょうか。借金の返済に回さなければならないのでは」。弁護士は答えた。「受取人が指定されている生命保険金は、受取人自身の固有の財産です。亡くなった方の遺産ではないので、相続を放棄しても受け取れますし、債権者に差し押さえられることもありません」。誠は、保険金を受け取ることで、相続を認めたことになり、放棄が無効になるのではと心配したが、弁護士は、受取人固有の財産を受け取ることは、放棄に影響しないと説明した。兄妹は、心から安堵した。
しかし、弁護士は、続けて注意を促した。「ただし、税金の面で、気をつけてください」。保険金は、相続税の計算では、みなし相続財産として課税の対象になる。通常は、五百万円に法定相続人の数をかけた金額が非課税になるが、この枠は、相続人が受け取った場合にだけ使える。相続を放棄した人が受け取る保険金には、この非課税枠が使えない。誠と理恵は、放棄しているため、六千万円の全額が課税対象になるのだ。
誠は、税理士に試算を頼んだ。放棄しても、遺産に係る基礎控除の人数には、放棄がなかったものとして数える。相続人は二人なので、基礎控除は四千二百万円。課税対象の六千万円から差し引くと、千八百万円が課税遺産総額になる。相続税の総額は約百八十万円。兄妹がそれぞれ、約九十万円ずつを負担する計算になった。
借金を考えない単純な比較ではあるが、もし放棄せずに受け取っていれば、非課税枠は五百万円に二人をかけた千万円。課税対象は五千万円となり、課税遺産総額は八百万円。相続税の総額は約八十万円で、一人あたり約四十万円で済んだ。一方で、借金を引き継いでしまっては、元も子もない。誠は、税金が増えても、借金を負わない選択は正しかったと、あらためて納得した。
兄妹は、保険金の中から納税資金を確保し、亡くなってから十か月以内という期限を守って、相続税の申告を済ませた。放棄をした人でも、保険金を受け取れば、申告が必要になるのだ。税理士は、最後にこう助言した。「相続放棄をする前に、生命保険や退職金の有無を確認し、税金の見通しを立てておくと、慌てずにすみます」。誠は今、同じように借金を抱えた家族の相続に悩む友人に、そのことを伝えている。
学びのボックス
| 放棄しても保険金は受け取れる | 受取人が指定された生命保険金は受取人固有の財産。相続を放棄しても受け取れ、債権者に差し押さえられることもない。 |
| 非課税枠は使えない | 「500万円×法定相続人の数」の非課税枠は、相続人が受け取った場合のみ。放棄した人が受け取る保険金には使えず、全額が課税対象になる。 |
| 基礎控除の人数は放棄でも数える | 遺産に係る基礎控除や非課税枠の人数は、放棄がなかったものとして数える。基礎控除は3,000万円+600万円×法定相続人の数。 |
| 税額の比較 | 例:保険金6,000万円・相続人2人の場合、放棄すると相続税の総額は約180万円。放棄せず非課税枠を使えば約80万円だが、借金も引き継ぐ。 |
| 申告と事前確認 | 放棄しても保険金を受け取れば、相続税の申告が必要になる場合がある(期限は10か月以内)。放棄の前に保険や退職金の有無を確認する。 |
