『農地の相続』は農業委員会へ届出必須
農地法3条の3の届出義務と、農業相続人の納税猶予の特例の重い条件
西野康平は、都内で会社員として働きながら、地方に住む父の死去に伴い、実家の農地を相続することになった。田んぼと畑を合わせて一町歩ほどの広さで、父が生前、地域の農業委員として長年守り続けてきた土地だった。康平自身は農業の経験がまったくなく、正直なところ、相続した農地をどう扱えばいいのか見当もつかなかった。子供の頃に田植えを手伝った記憶はあるものの、それ以上の知識は持ち合わせていなかった。
相続の手続きを進める中で、康平は司法書士から思いがけない義務があることを知らされた。「農地を相続した場合、農地法第三条の三に基づいて、農業委員会への届出が必要です。相続の開始を知った時から十か月以内に、農地のある市町村の農業委員会に届け出なければなりません」。康平はそんな届出があることすら初めて聞いた。不動産の相続登記だけで済むと思い込んでいたのだ。
司法書士はさらに説明を続けた。「この届出を怠ると、十万円以下の過料が科される可能性があります。届出自体は、農地を耕作するかどうかにかかわらず必要な手続きなので、まずは期限内に済ませておくことが大切です」。康平は慌てて必要書類を揃え、地元の農業委員会に届出を済ませた。届出の窓口では、担当者から地域の農地利用の現状についても丁寧に説明を受け、康平は初めて実家の土地が地域全体の農業とどうつながっているかを実感した。
届出を終えてほっとしたのも束の間、康平は次の大きな選択を迫られることになった。相続した農地の評価額はそれなりに高く、相続税の試算をしてもらったところ、決して軽くない金額が算出されたのだ。税理士は、「農業を継続する相続人には、『農業相続人の納税猶予の特例』という制度があります。相続した農地で引き続き農業を営むことを条件に、その農地にかかる相続税額の納税が猶予されます」と説明してくれた。
しかし、この特例には重い条件が伴っていた。「猶予を受けるには、原則として相続人が生涯にわたってその農地で農業を継続する必要があります。途中で農業をやめたり、農地を転用・譲渡したりすると、猶予されていた相続税に利子税を加えて、一括で納付しなければなりません」。会社員として都内で働き続けている康平にとって、生涯にわたる農業継続という条件は、現実的にはあまりに重いものだった。定年後に田舎に戻って農業を始めるという選択肢も一瞬頭をよぎったが、それを前提に人生設計を縛られることには、大きな抵抗を感じた。
康平は妻とも相談を重ねた末、納税猶予の特例は利用せず、通常どおり相続税を納付する道を選んだ。生涯にわたる縛りを受け入れてまで猶予を受けるより、今の生活を維持しながら現実的な選択をしたいというのが、夫婦で出した結論だった。農地については、地元のJAを通じて、近隣の専業農家に耕作を委託する形で維持していくことにした。自分で耕作を続けることはできなくても、先祖代々の土地を荒れさせずに済む方法を見つけられたことに、康平は一定の安堵を覚えている。
この経験を通じて康平は、農地の相続には、通常の不動産にはない独自の届出義務や税制上の選択肢があることを学んだ。相続財産の中に農地が含まれる場合は、早い段階で専門家に相談することの大切さを、身をもって実感している。半年後、耕作を委託した専業農家が育てた米が実り、康平のもとにも新米が届けられた。都内の自宅でその米を炊いて食べたとき、康平は初めて、遠く離れた実家の田んぼが今も生きていることを実感し、少し誇らしい気持ちになった。
学びのボックス
| 農業委員会への届出義務 | 農地法3条の3により、農地を相続した場合は相続の開始を知った時から10か月以内に、農地のある市町村の農業委員会へ届出をしなければならない。 |
| 届出を怠った場合の罰則 | 届出を怠ると10万円以下の過料が科される可能性がある。耕作の有無にかかわらず届出自体は必要な手続きである。 |
| 農業相続人の納税猶予の特例とは | 相続した農地で農業を継続することを条件に、その農地にかかる相続税額の納税が猶予される制度。 |
| 猶予を受けるための重い条件 | 原則として相続人が生涯にわたって農業を継続する必要があり、途中でやめたり農地を転用・譲渡したりすると、猶予税額に利子税を加えて一括納付しなければならない。 |
| 耕作を続けられない場合の選択肢 | 納税猶予を利用せず通常どおり納税したうえで、JA等を通じて近隣の農家に耕作を委託し、農地を維持する方法もある。 |
