[相続のお話] 遺産を寄付したい:遺贈寄付の現場から

遺産を寄付したい:遺贈寄付の現場から

八十二歳になった今も、菊池久子は毎朝六時に起きて、近所の公園を一周する。

夫とは三十年前に死別し、子供はいない。兄弟も先に逝った。残るのは都内の小さなマンションと、コツコツ貯めてきた預金。それがすべての財産だ。

「死んだあと、このお金はどこへ行くんだろう」

法定相続人がいない場合、遺産は最終的に国庫に帰属する。久子はその事実を知って以来、ある考えが頭を離れなくなっていた。「どうせなら、役に立てたい」

寄付したい、でもどうすれば

久子が相談に訪れた司法書士の坂本先生は、遺贈寄付の経験が豊富だった。

「遺言書で財産を団体に贈ることができます。これを『遺贈』といい、相手が公益法人やNPOであれば『遺贈寄付』と呼ばれます」

久子の希望は二つ。一つは、自分が卒業した地方の女子高等学校(現在は共学)に奨学金として贈ること。もう一つは、長年支援してきた児童養護施設を運営するNPO法人への寄付だ。

「素晴らしいご意志です。ただ、一つ気をつけていただきたいことがあります」と坂本先生は穏やかに言った。

不動産は断られることがある

「マンションをそのまま寄付しようとすると、受け取りを断られる可能性があります」

久子は驚いた。「せっかくあげようというのに、断られるんですか?」

「NPOや学校法人は、不動産を受け取ると管理費・修繕費・固定資産税がかかります。売りにくい物件だった場合、むしろ負担になってしまう。実際、不動産の受遺を辞退する団体は少なくありません」

久子は黙って聞いていた。善意が相手の重荷になる——それは本意ではない。

「では、どうすればいいんでしょう」

「清算型遺贈」という知恵

「『清算型遺贈』という方法があります。マンションを現物のまま贈るのではなく、遺言執行者があなたの亡き後に売却・換金し、そのお金を寄付先へ届ける手法です」

現物ではなく金銭として届けることで、団体側の受け取り拒否リスクをほぼゼロにできる。さらに売却益に対する税負担も、寄付先が公益法人であれば一定の非課税措置が適用される場合がある。

「そして最も大切なのが、信頼できる遺言執行者を指定することです。売却手続きから寄付の実行まで、すべてを代行してくれる人を遺言書に明記しておかなければ、意志は実現しません」

坂本先生が遺言執行者に就任することになった。久子は公証役場で公正証書遺言を作成し、マンション売却後の純額のうち六割を母校へ、四割をNPO法人へ届けるよう明記した。

言葉ではなく、遺言書に残す

遺言書が完成した日の夜、久子は仏壇の前に座った。

「あなたが遺してくれたお金も、少し混ぜさせてもらうわね」と夫の遺影に話しかけた。

遺贈寄付は、子供のいない人だけのものではない。「誰かの未来の役に立てたい」という気持ちがあれば、誰でも実行できる制度だ。大切なのは、その気持ちを遺言書という「法的な言葉」に変えること。そして、実行を託せる人を指定しておくことだ。

   

学びのボックス 遺贈寄付のポイント

遺贈寄付とは遺言書によって財産を法人・団体・個人に贈ること。相続人以外への遺贈と、相続人への相続を組み合わせて設計することもできる。
不動産遺贈の受け取り拒否リスクNPOや公益法人は管理コスト・売却困難などを理由に不動産の受け取りを断るケースが多い。事前に受遺者(寄付先)に確認することが必須。
清算型遺贈とは不動産などの財産を遺言執行者が売却・換金したうえで、その現金を寄付先へ交付する手法。現物ではなく金銭で贈ることで受け取り拒否を防ぐ。
遺言執行者の指定清算型遺贈では遺言執行者(弁護士・司法書士など専門家が望ましい)を必ず指定する。遺言執行者が売却手続き・寄付手続きを代行する。
寄付先との事前合意遺言作成前に寄付先の団体と意向確認を行い、受諾の見込みを確かめておくことが重要。「遺贈寄付サポートセンター」等の支援団体も活用できる。



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