[相続のお話]生前贈与『年間110万円』の振込口座の罠

生前贈与『年間110万円』の振込口座の罠


毎年同じ時期・同じ金額の贈与が招く税務リスクと、贈与契約書の重要性

坂本恵子は、息子の翔太が大学に入学した年から、毎年同じ十二月一日に、翔太名義の口座へ百十万円を振り込んでいた。「贈与税がかからない範囲で、少しずつ将来のために残してあげたい」という思いからだった。友人に教わった暦年贈与の仕組みを頼りに、恵子はこの習慣を十年近く続けてきた。翔太自身も、いつしか年末になると通帳に記帳しに行くのが当たり前になっていた。恵子にとっては、息子の将来を思う年に一度の小さな儀式のようなものだったのだろう。

恵子が七十八歳で亡くなり、相続が発生した。翔太が相続税の申告について税理士に相談したところ、思いがけない指摘を受けた。「お母様が毎年振り込んでいたこの贈与ですが、税務調査で『定期贈与』と認定されるリスクがあります」。税理士はそう切り出した。定期贈与とは、当初から「毎年一定額を一定の時期に贈与する」という約束が一つの契約として成立していたとみなされるケースを指す。もしそう認定されれば、百十万円ずつの贈与が積み重なったのではなく、最初の年に将来分も含めた贈与契約が成立していたと扱われ、合計額にまとめて贈与税が課税されてしまうという。年間百十万円の非課税枠を使ったつもりが、数百万円単位の追徴課税につながりかねないという説明に、翔太は言葉を失った。

翔太は青ざめた。十年間、毎年きっちり百十万円、同じ十二月一日に振り込まれていた記録は、銀行の取引履歴を見れば一目瞭然だった。しかも贈与契約書のようなものは、一度も作成していなかった。恵子と翔太の間には、口頭で「毎年これくらい渡すからね」という約束めいた会話があったことも、翔太はぼんやりと覚えていた。税理士は、「金額や時期が毎年判で押したように同じだと、税務署から見れば、最初から取り決めがあったのではないかと疑われやすいのです。悪意がなくても、外形的な事実だけで判断されてしまうのが怖いところです」と説明した。

さらに税理士は、こうしたリスクを避けるための実務上のポイントを教えてくれた。「贈与のたびに贈与契約書を作成し、贈与者と受贈者双方が署名押印すること。金額や時期を年によって変えること。振込ではなく、受贈者本人が使える口座で、実際に自由に使わせておくこと。これらを積み重ねることで、単発の贈与が繰り返されただけだと説明しやすくなります」。恵子の場合、契約書もなく、金額も時期も毎年同一だったことが、定期贈与と疑われる典型的なパターンに当てはまっていた。

結局、翔太は税理士のサポートを受けながら、過去の贈与の経緯や、恵子が贈与のたびに翔太に電話で使い道を尋ねていたことなどを丁寧に説明する資料を作成し、税務署との協議に臨むことになった。銀行の記録以外に頼れる証拠がほとんどなく、資料集めには想像以上の時間と労力がかかった。最終的には単発贈与の積み重ねという主張が認められたが、翔太は「もし母が毎回、簡単な一筆でも契約書を残してくれていたら、こんなに苦労しなかったのに」と痛感した。

この経験から、翔太は自分の子供に生前贈与をする際には、たとえ家族間であっても、毎回きちんと贈与契約書を作成し、金額や時期に変化をつけることを心に決めている。良かれと思って続けてきた母の贈与が、結果として相続人を悩ませることになった皮肉を、翔太は忘れないようにしたいと思っている。形だけの手間を惜しまないことが、残された家族を守ることにつながるのだと、翔太は今回のことで身をもって理解した。

学びのボックス


暦年贈与とは年間110万円までの贈与には贈与税がかからない基礎控除の仕組み。毎年繰り返し利用することで、時間をかけて財産を移転できる。
定期贈与のリスク毎年一定額を一定時期に贈与する約束が当初からあったとみなされると、初年度にまとめて贈与契約が成立したとして課税される可能性がある。
疑われやすいパターン金額・時期が毎年同一、贈与契約書がない、受贈者が贈与の事実を認識・管理していないなどの特徴が重なると、税務署に指摘されやすい。
対策のポイント贈与のたびに契約書を作成して署名押印し、金額や時期に変化をつけ、受贈者が自由に使える状態にしておくことが有効。
受贈者側の心構え口座の存在や使い道を受贈者自身が把握し、実質的に管理していることを示せるようにしておくことも重要。

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