『役員退職金』の支給で会社の株価を下げて相続税を節税する手法
大村誠一は七十歳。金属部品の製造会社を、四十年以上、一代で育てた同族会社の社長だ。発行済み株式は、すべて誠一が持っている。後継者は、長男の拓也。ところが、毎年の利益が積み上がった結果、自社株の評価額は、約二億円に膨らんでいた。自宅の約三千万円、預貯金の約二千万円を合わせると、遺産は約二億五千万円。相続人は、拓也と長女の二人だ。
不安になった誠一は、顧問税理士に尋ねた。「私が死んだら、相続税は、どれくらいかかるのか」。税理士の試算は、基礎控除の四千二百万円を差し引いて、課税遺産総額が約二億八百万円。相続税の総額は、約四千九百二十万円。現金は預貯金の約二千万円しかなく、納税資金が、まったく足りなかった。
税理士は、一つの提案をした。「役員退職金の規程を整えておきましょう。社長が亡くなったとき、会社が遺族に死亡退職金を支払えるようにするのです。退職金は、会社の経費、つまり損金になります。会社の利益と純資産が減り、その分、自社株の評価額が下がります」。誠一は、身を乗り出した。「会社の金を、家族に払うことになるのか」。「あくまで、長年の功績に報いるための、正式な報酬です」と、税理士は答えた。
「ただし、条件があります」。税理士は続けた。「退職金の額は、社長の最終報酬月額、勤続年数、役員としての功績を考慮した倍率で、適正に決めなければなりません。高すぎる部分は、損金として認められないことがあります」。誠一の月額報酬は百万円、勤続年数は三十年。功績倍率を二倍として、六千万円という額が、規程に定められた。株主総会の議事録も、整えた。
さらに、税理士は付け加えた。「会社に、支払うだけの資金がなければ意味がありません」。誠一は、会社が保険料を負担する生命保険に加入し、受取った保険金を、退職金の原資にすることにした。規程と保険の準備に、半年かかった。
二年後、誠一は急逝した。会社は、規程に従って、遺族である拓也に、死亡退職金六千万円を支払った。亡くなった日から三年以内に支給が確定したものは、相続税の対象となる。ただし、五百万円に法定相続人の数をかけた、千万円までは非課税だ。税理士の再試算では、退職金の支給により、会社の純資産と利益が減り、自社株の評価額は約二億円から約一億四千万円に下がった。
結果、遺産の課税対象は、約二億四千万円から、基礎控除を引いて約一億九千八百万円。相続税の総額は、約四千五百四十万円となり、節税の効果は、約三百八十万円だった。さらに重要だったのは、拓也が受け取った退職金が、納税資金になったことだ。もしなければ、拓也は、会社の株を手放すか、銀行から借りるしかなかった。会社の株を、売却して現金にする必要がなくなった。
税理士は、こんな話もした。「退職金で株価が下がった時期は、後継者に自社株を贈与したり、売却したりする好機にもなります。ただし、評価が下がるのは一時的です。会社の利益が戻れば、株価も戻ります」。拓也は、株価の仕組みを、初めて理解した気がした。
税理士は、最後にこう注意した。「生前に、本人が退職金を受け取ると、退職所得として所得税がかかります。受け取った現金は、そのまま相続財産になりますから、思ったほど節税にならないことがあります。退職金は、会社の資金繰りも考えて、慎重に決めてください」。拓也は、父の用意した規程を、いまも大切に保管している。あわせて、退職金を支払った年度は、会社の決算が赤字になったが、取引先や銀行への説明は、税理士が事前に整えていたため、混乱はなかった。
学びのボックス
| 役員退職金の仕組み | 適正な役員退職金は会社の損金になり、利益と純資産が減るため、自社株の評価額が下がる。株主総会の決議と規程の整備が前提。 |
| 適正額の考え方 | 最終報酬月額×勤続年数×功績倍率で算定するのが一般的。高すぎる部分は損金として認められないことがある。 |
| 死亡退職金の税務 | 死亡後3年以内に支給が確定した退職金は相続税の対象で、500万円×法定相続人の数までは非課税。納税資金にもなる。 |
| 例:節税効果 | 遺産約2.5億円・相続人2人で、退職金6,000万円・株価約2億円→約1.4億円の場合、相続税の総額は約4,920万円→約4,540万円。 |
| 注意点 | 生前に受け取ると退職所得として課税され、現金は相続財産になる。会社の資金繰りと、株価が一時的に下がるだけな点にも注意する。 |
