[相続のお話]『遺留分の放棄』を迫る兄の圧力

『遺留分の放棄』を迫る兄の圧力

「お前は二十年前に家を出て、好き勝手に生きてきた。親父が元気なうちに遺留分を放棄する書類に判を押してくれ」

電話口の兄・柴山克也(五十八歳)の言葉は、有無を言わさぬ圧力を帯びていた。次男の勇一(五十四歳)は言葉に詰まった。

父・柴山龍二(八十一歳)は健在だ。しかし長男の克也は、父が住む実家と農地を将来一人で引き継ぐために、今のうちから動き始めていた。「実家を守ってきたのは俺だ。お前が遺留分を主張すれば農地が分割されてしまう」

その論理は理解できる。しかし勇一には、「本当に放棄してしまっていいのか」という迷いがあった。

生前の遺留分放棄は「裁判所が関与」する

勇一は弁護士の竹村先生に相談した。

「生前に遺留分を放棄することは、法律上できます。ただし、兄弟間の口約束や念書、合意書では法的効力がありません。民法一〇四九条に基づき、家庭裁判所の許可を得なければ有効な放棄にはならないのです」

「なぜ裁判所が関与するんですか」

「圧力や不当な誘導による放棄を防ぐためです。家庭裁判所は、放棄が本人の自由意思に基づくものかどうか、そして放棄に合理的な理由や相応の見返りがあるかを審査します。『兄に言われたから』だけでは許可されない可能性が高い」

「念書」は意味がない

「兄からは念書に署名するよう言われています」と勇一は言った。

竹村先生は明確に答えた。「その念書は、法的に無効です。家庭裁判所の許可を経ない遺留分放棄の合意は、どんな形式の書面であっても効力を持ちません。署名しても、将来あなたが遺留分を請求することを法的に妨げることはできない」

ただし竹村先生は付け加えた。「もちろん、あなたが自分の意思で放棄を選ぶことは否定しません。もし放棄するなら、正式に家庭裁判所に申立てをして許可を得るべきです。その際、克也さんから相当の代償——たとえば現金や生前贈与——を受け取ることを条件にするのが通常です」

「放棄する理由」が審査される

「裁判所は何を見るんですか」と勇一はさらに尋ねた。

「放棄に至った経緯・理由・見返りの有無です。たとえば『結婚の際に父からまとまった生前贈与を受けており、すでに自分の取り分は受け取った』という事情があれば、放棄の合理性が認められやすくなります。逆に、脅迫や強要、見返りもなく放棄させられている場合は、裁判所は許可しません」

勇一は考え込んだ。たしかに、二十年前に家を出た際、父から車と引越し費用を出してもらった。しかし農地と実家の価値を考えれば、それで遺留分を放棄するのは割が合わない。

断る権利も、選ぶ権利も、自分にある

「放棄を断ることはできますか」

「もちろんです。応じる法的義務はまったくありません。克也さんの圧力は、感情的なものでも道義的なものであっても、あなたに放棄を強制することはできない」

勇一は兄に電話した。「遺留分の放棄は、法律上、家庭裁判所の許可が必要だと聞いた。念書への署名は意味がない。今後は弁護士を通して話してほしい」

克也は黙った。

遺留分は法律が守る最後の砦だ。放棄するかどうかは、当事者が正確な知識を持ったうえで、自由な意思で判断すべきものだ。圧力に屈して判を押す前に、まず専門家に相談することが何より大切だ。

学びのボックス:生前の遺留分放棄のポイント

生前の遺留分放棄とは被相続人の生存中に、推定相続人が将来の遺留分を放棄すること(民法1049条)。死後の遺留分放棄(相続放棄)とは別の手続きで、家庭裁判所の許可が必要。
家庭裁判所の許可が必要な理由圧力や不当な誘導による放棄を防ぐため、裁判所が「放棄が本人の自由意思によるものか」「放棄に合理的な理由・見返りがあるか」を審査する。
許可されるための要件①放棄する本人の自由意思であること、②放棄に合理的な理由(生前贈与を受けたなど)または相応の見返りがあること——が審査のポイントとなる。
口頭・書面での放棄は無効家庭裁判所の許可を経ない遺留分の放棄は、法的に無効。兄弟間の口約束・念書・合意書も効力を持たない。
放棄を強要された場合の対応遺留分放棄を迫られても、応じる法的義務はない。強要・脅迫・詐欺的な誘導による放棄申立ては許可されない。弁護士に相談したうえで対応を決める。




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