突然の遺言書と家族の戸惑い
田村幸雄(享年79歳)が亡くなった翌日、長男の拓哉(52歳)は父の書斎を整理していた。引き出しを一つひとつ開けていくと、一番奥の引き出しに白い封筒を見つけた。表には「遺言書 田村幸雄」と、父の筆跡で書かれていた。
拓哉はすぐに封を開けようとした。その手を、隣にいた妻が止めた。「待って。遺言書って、勝手に開けちゃいけないんじゃなかったっけ」
翌日、知り合いの司法書士に相談すると、妻の直感は正しかった。
「自筆証書遺言は、家庭裁判所での『検認』という手続きが必要です。検認を受ける前に開封してしまうと、五万円以下の過料が科せられる場合があります。内容自体は無効にはなりませんが、手続き違反として問題になることがあります」
「検認とは何をするんですか」
「遺言書の存在と内容を家庭裁判所が確認し、その時点での状態を記録として残す手続きです。偽造や変造を防ぐための制度で、相続人全員に通知が届き、裁判所で立ち会いのもとで開封されます。申し立てから手続きが完了するまで、一ヶ月から二ヶ月程度かかることが多いです」
拓哉の弟・誠司(48歳)は「そんなに待てるか」と不満を漏らした。父の預金口座の解約や、実家の名義変更——やることは山積みだった。
「遺言書の検認が終わらないと、内容を法的な証拠として使うことができません。ただ、検認の待機期間中でも、他の手続きの準備は並行して進められます。戸籍謄本の収集や、財産の一覧作成は今すぐ始めましょう」
そこで司法書士が付け加えた。「こうした手間を省ける方法があります。法務局の『自筆証書遺言書保管制度』です。遺言者が生前に法務局に遺言書を預けておくと、亡くなった後に家庭裁判所での検認が不要になります。相続人が法務局に出向くか、郵送で遺言書の内容を確認できます。手数料は一件あたり三千九百円と、非常に安価です」
「父が知っていれば、こんなに手間がかからなかったんですね」と拓哉は言った。
「はい。令和二年から始まった制度ですが、まだ利用者が少ないのが現状です。自筆で遺言を作成する方には、ぜひ知っておいてほしい制度です。また、遺言書の形式に不備があると無効になる可能性もあります。全文・日付・氏名が自筆で書かれ、押印があることが要件ですので、書いたら専門家に確認してもらうことをお勧めします」
検認の申し立てを終えた後、拓哉は実家のリビングで父が書いた遺言書の内容をようやく確認した。財産の分け方は、至ってシンプルだった。自宅は母に、預貯金は拓哉と誠司で等分に——父らしい、穏やかな言葉で書かれていた。
封を開けずに待ったことを、拓哉は後悔しなかった。父が遺した言葉を、正しい手順で受け取ることができた。それだけで十分だと思えた。
自筆証書遺言は手軽に作れる一方、保管・検認という手続きが伴う。法務局の保管制度を使えばその手間が省ける。遺言書を作る人も、受け取る家族も、この仕組みを知っておくだけで、いざというときの負担が大きく変わる。
この記事で学べること
自筆証書遺言は、開封前に家庭裁判所での「検認」手続きが必要です。無断開封は過料の対象になります。また、令和2年から始まった「法務局の自筆証書遺言書保管制度」を利用すると検認が不要になり、手数料は3,900円です。
