[相続のお話] 愛人の子から届いた『認知』の訴え

愛人の子から届いた『認知』の訴え

封筒の差出人を見た瞬間、長女の吉岡里奈(四十五歳)は手が止まった。

「横浜地方裁判所」——父・吉岡健三の四十九日を終えて三週間後のことだった。

開封すると、「認知請求の訴状」と記された書面が入っていた。原告の名は橘颯人(二十六歳)。「亡吉岡健三は私の生物学上の父であり、法的な認知を求める」という趣旨の訴えだった。

里奈は母と弟を呼び、三人で黙って文面を読んだ。誰も言葉を発しなかった。

「死後認知」という法的手続き

翌日、里奈は相続専門の弁護士・橋本先生に連絡した。

「民法七八七条に基づく死後認知(強制認知)の訴えです」と橋本先生は説明した。「父親の生前に認知されなかった子が、父の死後に裁判所への訴えによって法的な父子関係を確定させる手続きです。父の死後三年以内であれば提起できます」

「証拠はどうするんですか。父はもういないのに」

「DNA鑑定が行われます。父本人のDNAは取得できませんが、里奈さんや弟さん、あるいは父方の親族のDNAとの照合が求められる場合があります。父が生前に使っていた毛髪や爪の保存があれば、それも証拠として提出できます」

認知が確定すると何が変わるか

「もし裁判で認知が認められてしまったら、どうなりますか」と里奈は震える声で尋ねた。

「認知が確定すると、颯人さんは父が亡くなった時点にさかのぼって相続権を取得します(民法七八四条)。法定相続人の構成が変わります」

健三の相続人は現在、配偶者(母)・里奈・弟の三名。しかし颯人が認知された場合、非嫡出子として弟や里奈と同等の相続分を持つ第四の相続人が加わることになる。

「遺産分割協議はすでに終わっていますが、やり直しになりますか」

「協議のやり直しにはなりません。ただし颯人さんは認知確定後、すでに分割された遺産の中から自分の相続分に相当する金額の支払いを、他の相続人に請求できます。これを『価額償還請求』といいます(民法九一〇条)」

遺産の「現物」は守られる

「では、お母さんが受け取った自宅を取られることはないんですか」と里奈は食い縛るように聞いた。

「価額償還請求は金銭の支払いを求めるものです。すでに分割された財産の現物を取り戻すことは原則としてできません。自宅が颯人さんのものになるわけではない」

里奈はわずかに息をついた。しかし颯人の法定相続分に相当する金額を算出すると、数百万円規模になる可能性があった。

感情ではなく、事実で向き合う

橋本先生はDNA鑑定に応じるよう里奈に助言した。「拒否することもできますが、裁判所は拒否を不利な事情として考慮することがあります。鑑定結果が出てから方針を考えましょう」

三ヶ月後、DNA鑑定の結果が出た。父との親子関係の確率は九九・九%を超えていた。

里奈は長い時間をかけて気持ちを整理した。「颯人さんも被害者なのかもしれない」——それが里奈の出した結論だった。裁判での争いを避け、価額償還について直接話し合いの場を設けることを橋本先生に伝えた。

死後認知は、家族が知らなかった過去を突きつける。しかし法律は、感情より先に「事実」に従って動く。その現実を受け止め、正面から向き合うことだけが、前に進む道だ。

   

学びのボックス 死後認知と相続のポイント

死後認知(強制認知)とは父親の生前に認知されなかった子が、父の死後に裁判所への訴えによって法的な父子関係を確定させる手続き(民法787条)。父の死後3年以内に提起が必要。
DNA鑑定の役割父本人が死亡しているため、父の血縁者(兄弟・子など)のDNAや、保存された検体(毛髪・爪など)を用いた鑑定が行われる。裁判所が採否を判断する。
認知確定後の相続権死後認知が確定すると、認知された子は被相続人の死亡時にさかのぼって相続権を取得する(民法784条)。法定相続人の構成が変わる。
価額償還請求とは認知確定後、すでに遺産分割が終わっていても、認知された子は他の相続人に対して自己の相続分に相当する価額の支払いを請求できる(民法910条)。遺産の現物は求められない。
早期の法的対応が重要死後認知の訴えを受けたら、速やかに相続専門の弁護士に相談する。DNA鑑定への対応方針、協議の有効性確認、価額償還への備えを早急に整える必要がある。



この記事を書いた人

souzoku-ad


家族信託・よくあるご質問
家族信託・用語集
このサイトについて
よくあるご質問
用語集
お問い合わせ