『遺産隠し』を疑ったら通帳履歴10年分
通帳を見せない長男に対し、次男が金融機関照会で使途不明金をあぶり出す
橋口修二は、母の死後、遺産分割協議を進めようとして、次第に強い違和感を覚えるようになった。母の通帳や印鑑を管理していたのは、実家で母と同居していた長男の宏だった。修二が「母の預金通帳を見せてほしい」と頼んでも、宏はのらりくらりと理由をつけて見せようとしない。「もう処分した」「見当たらない」という言い訳が続くうちに、修二の中で疑念は確信へと変わっていった。母の生前、実家に顔を出すたびに感じていた小さな違和感が、ようやく形を取り始めた瞬間だった。
修二は思い切って弁護士に相談することにした。「兄が母の口座から勝手にお金を引き出していたんじゃないかと思うんです。でも通帳がない以上、証拠のつかみようがありません」。修二がそう打ち明けると、弁護士は落ち着いた口調で答えた。「通帳の現物がなくても大丈夫です。相続人であれば、金融機関に対して被相続人名義の口座の取引履歴を開示するよう請求する権利があります。各行への照会を通じて、直近十年分の入出金記録を取り寄せることができます」。
修二は驚いた。通帳を見せてもらえなくても、取引履歴そのものを金融機関から直接取り寄せられるとは思っていなかったからだ。弁護士は続けて、「相続人の一人からの開示請求であっても、金融機関は戸籍謄本などで相続人であることを確認できれば、原則として取引履歴を開示する義務があるとされています。他の相続人の同意は必要ありません」と説明した。最高裁判例でも、共同相続人の一人が単独で被相続人名義の預金口座の取引経過の開示を求める権利があることが認められているという説明を受け、修二は法的な裏付けの確かさに背中を押された。
弁護士のサポートを受けながら、修二は母が取引していたと思われる複数の金融機関に照会をかけた。数週間かけて取り寄せた取引履歴を一つずつ確認していくと、母が施設に入所してからの数年間、まとまった額の出金が繰り返されていたことが判明した。出金のタイミングは、いずれも宏が実家に立ち寄っていた時期と重なっていた。膨大な取引履歴を一行ずつ日付と照らし合わせる作業は根気のいるものだったが、修二はパズルのピースが少しずつ埋まっていくような感覚を覚えた。
弁護士は、この取引履歴をもとに、宏に対して出金の使途について説明を求めることにした。宏は当初「母のために使った」の一点張りだったが、具体的な使途を示す領収書や記録は何一つ提示できなかった。修二と弁護士は、これらの使途不明金について、母への贈与や修二自身への使い込みではないかとの疑いを丁寧に整理し、宏との協議に臨んだ。
最終的に、宏は使途を説明できなかった出金の一部について、遺産の前渡しを受けたものとして扱うことに同意し、遺産分割の中で修二の取り分を調整する形で決着した。裁判にまで発展させることは避けられたものの、修二は「証拠がなければ、ずっと泣き寝入りするところだった」と、取引履歴照会という手段の重要性を痛感している。
この経験を通じて修二は、通帳という物理的な証拠がなくても、金融機関への正式な照会によって事実を明らかにできるという、相続実務の心強さを学んだ。協議が決着してから半年ほど経ったころ、宏から「これまで説明もせず、悪かった」と短い電話がかかってきた。かつてのようなわだかまりが完全に消えたわけではないが、修二は少しずつ兄との関係を修復していきたいと考えている。同じように不信感を抱える人には、まず専門家に相談してみることを勧めたいと、修二は話している。
学びのボックス
| 取引履歴の開示請求権 | 相続人であれば、被相続人名義の口座の取引履歴(入出金記録)の開示を金融機関に単独で請求できる権利がある。 |
| 他の相続人の同意は不要 | 戸籍謄本等で相続人であることを確認できれば、他の相続人の同意がなくても、金融機関は原則として開示に応じる。 |
| 最高裁判例による裏付け | 共同相続人の一人が単独で被相続人名義の預金口座の取引経過の開示を求める権利があることは、最高裁判例でも認められている。 |
| 照会できる期間の目安 | 各金融機関で取り扱いは異なるが、直近10年程度の取引履歴まで遡って開示を受けられることが多い。 |
| 使途不明金への対応 | 取引履歴から不自然な出金が判明した場合、使途の説明を求め、贈与や使い込みと判断されれば遺産分割の中で取り分を調整することができる。 |
