借金まみれの会社を引き継ぐ覚悟
父が倒れたのは、決算を三週間後に控えた十一月の夜だった。
宮本拓海(三十五歳)が病院に駆けつけたとき、父・誠一はすでに意識がなかった。急性大動脈解離。翌朝、そのまま帰らぬ人となった。
父は地方の中堅印刷会社「ミヤモト印刷株式会社」の代表取締役だった。従業員は二十三名。創業三十年、地域に根ざした会社だ。
■届いた一冊のファイル
葬儀が落ち着いたころ、顧問税理士の池田先生から電話があった。「至急、お話ししたいことがあります」
翌日、池田先生が持参したのは一冊の分厚いファイル。会社の財務資料だった。
「拓海さん、単刀直入に申し上げます。会社には地方銀行からの借入が一億二千万円あります。そしてお父様は全額に個人保証を入れていました」
拓海の頭が白くなった。父が個人保証を——。つまり父が亡くなったいま、その保証債務も相続の対象になるということだ。
■「継ぐ」か「放棄」か
拓海はすぐに相続専門の弁護士・川村先生を紹介してもらい、選択肢を整理してもらった。
「選択肢は大きく二つです。一つは相続して会社を継ぐこと。もう一つは相続放棄して、保証債務ごと手放すことです」
相続放棄すれば借金は引き継がない。しかし父が遺した自宅や株式、預金もすべて失う。会社は清算か、第三者への売却(M&A)を検討することになる。
「会社の実態を見なければ判断できません。まず財務デューデリジェンスを行いましょう」と川村先生は言った。
■経営承継円滑化法という光
中小企業診断士の橘先生も加わり、会社の収益力を精査した結果、営業利益は年間二千万円前後で安定していることがわかった。借入金の返済は重いが、不可能ではない水準だ。
「拓海さんが継ぐなら、経営承継円滑化法を活用できます」と橘先生が言った。「後継者が自社株や事業用資産を相続する際に、相続税の納税を猶予・免除してもらえる制度です。資金繰りへの負担を大幅に軽減できます」
さらに川村先生が付け加えた。「経営者保証ガイドラインの改定もあります。財務の透明性を高め、法人と個人の資産を明確に分離できれば、後継者は個人保証なしで融資を継続してもらえる可能性が高まっています。銀行との交渉を試みる価値は十分あります」
■二十三人の顔が頭に浮かんだ
拓海は三週間、毎晩資料を読み続けた。数字と向き合い、従業員の顔を思い浮かべた。
父が三十年かけて築いた会社。二十三人の生活を支えてきた会社。
「継ぎます」
拓海が川村先生に告げたのは、相続放棄の期限まで一週間を残したタイミングだった。その後、銀行との交渉は半年に及んだが、最終的に個人保証の範囲は大幅に縮小された。
経営者の死は、会社と家族の双方に突然の試練をもたらす。しかし正しい知識と専門家の連携があれば、その試練は乗り越えられる。拓海はそれを身をもって知った。
学びのボックス:事業承継と経営者保証のポイント
| 経営者保証とは | 経営者が会社の借入金に対して個人で連帯保証すること。社長が死亡しても保証債務は相続される。 |
| 相続放棄の選択 | 相続放棄すれば個人保証債務も引き継がない。ただし会社の株式や財産も含めてすべての相続権を失う。 |
| 経営承継円滑化法 | 後継者が中小企業の株式・事業用資産を承継する際、相続税や贈与税の納税猶予・免除を受けられる制度。 |
| 経営者保証ガイドライン | 財務基盤が健全で情報開示が十分な場合、後継者は経営者保証なしで融資を受けられる可能性がある(2023年改定強化)。 |
| 専門家の連携が不可欠 | 弁護士・税理士・中小企業診断士など複数の専門家を早期に起用し、承継か清算かを冷静に判断することが重要。 |
