[相続のお話] 『生前贈与』の手続き:領収書と契約書

『生前贈与』の手続き:領収書と契約書

「お祖父ちゃんが毎年、私の口座にお金を入れてくれていたのは知っていました。でも通帳は祖父が持っていたし、引き出したこともありませんでした」

坂口遥(二十六歳)が税理士の室田先生に打ち明けたのは、祖父・坂口正一が他界して四ヶ月後のことだった。

正一は十年間、毎年一月に遥の口座へ百万円を振り込み続けていた。合計一千万円。「孫の将来のため」と言って、通帳は正一自身が管理し、遥に渡したことはなかった。

「先生、この一千万円は遥の財産として認められますか?」と遥の父・坂口誠(五十四歳)が問うた。室田先生の表情が少し曇った。

「名義預金」という落とし穴

「このケースは、税務署から『名義預金』と指摘されるリスクがあります」と室田先生は言った。

名義預金とは、口座の名義は別人(遥)だが、実質的な管理と支配は被相続人(正一)が行っていた預金のこと。贈与が法的に成立していないとみなされ、相続財産として課税されてしまう。

「でも振り込んでいたのは事実ですよね」と誠は反論した。

「振込の事実があっても、受贈者(遥さん)が通帳・印鑑を管理しておらず、自由に使える状態でもなかった場合、税務署は『贈与の意思が双方に成立していなかった』と判断する可能性があります。今回は十年間、通帳を祖父が手元に置いていた——これが問題です」

贈与に「証拠」が必要な理由

「では、どうすれば本物の贈与として認められたんですか」

「三つのポイントがあります。一つ目は贈与契約書の作成です。毎年、贈与する側(正一さん)と受ける側(遥さん)が署名捺印した書面を残す。二つ目は通帳・印鑑を遥さんが管理する。三つ目は、遥さんが実際にその口座のお金を使う機会を持つことです」

「贈与契約書なんて大げさに思えますが、必要なんですね」と遥は言った。

「大げさに見えるものが、いちばん大切な証拠になります。口頭での約束や振込の記録だけでは、税務署を説得できません」

『111万円』という賢い証拠術

室田先生は続けた。「これから贈与を正しく行う方法として、『111万円を贈与して贈与税を少額申告する』テクニックがあります」

贈与税の基礎控除は年間一一〇万円。一一〇万円以下の贈与は非課税で申告不要だ。しかしそれゆえに「贈与があったという証拠が残らない」という問題がある。

「あえて一一一万円を贈与し、超過した一万円分の贈与税——千円——を申告・納付すると、受付印入りの申告書が手元に残ります。これが『その年に確かに贈与があった』という最強の証拠になるんです」

「千円の税金が、将来の何十万円もの相続税を防ぐ保険になるということですか」と誠は言った。

「そういうことです」

過去の分は?

「一千万円の過去の振込については、今からどうすればいいですか」

「完全に覆すことは難しいですが、遥さんが今すぐ通帳を管理し始め、実際に生活費や学費に使うことで、少なくともここから先の分について『遥さんの財産』であることを示せます。過去分については申告で誠実に対応し、過少申告の加算税リスクを最小化することが現実的です」

遥は翌週から通帳と印鑑を自分で管理し始めた。「祖父の気持ちは嬉しかった。でも証拠がないと意味がないとは思わなかった」

生前贈与は「振り込めば終わり」ではない。受け取る側が「自分のお金として扱える状態」を整えて初めて、法的に完成する。契約書と通帳管理——その二つが、善意の贈与を守る盾だ。

   

学びのボックス:正しい生前贈与と名義預金対策

名義預金とは名義は別人だが、実質的な管理・支配は被相続人(贈与者)が行っていた預金口座。贈与が成立していないとみなされ、相続財産に含まれる。税務調査で最も指摘されやすい問題の一つ。
名義預金とみなされる典型パターン①通帳・印鑑を贈与者が管理していた、②受贈者が口座の存在を知らなかった、③受贈者が自由に引き出せなかった——これらが揃うと贈与の成立が否定されやすい。
正しい贈与の成立要件①贈与契約書を作成する(双方署名捺印)、②振込の日付・金額を明記する、③受贈者が通帳・印鑑を管理する、④受贈者が実際に資金を使う——これらが揃って初めて「贈与」として認められる。
111万円・あえて課税する理由贈与税の基礎控除は年110万円。あえて111万円を贈与し、1万円分の贈与税(1,000円)を申告・納付しておくと、「その年に贈与があった事実」の証拠になり、税務署の調査に耐えやすくなる。
贈与税申告書の保管111万円の贈与を行った場合は贈与税申告書を提出し、受付印入りの控えを保管する。この書類が将来の税務調査における最強の証拠となる。



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