[相続のお話]『事業承継税制』の特例と納税猶予の罠

『事業承継税制』の特例と納税猶予の罠


ーー自社ビルと株式を持つ中小企業社長の急逝と、猶予打ち切りの緊張感

田村和也は、父・誠一の突然の心筋梗塞による逝去を、取引先との商談中に知らされた。急いで病院に駆けつけたときには、すでに父の意識はなかった。享年六十二。あまりに早すぎる死だった。

父が三十年かけて築き上げた精密部品メーカー「田村精工」は、地元では知られた優良企業だった。従業員は四十人、大手自動車部品メーカーとの取引も長い。しかし相続財産の中身を見ると、現預金はわずかで、資産の大半は自社ビルと非上場株式という、換金しにくいものばかりだった。

顧問税理士による相続税の試算を見て、和也は愕然とした。会社の業績が好調だったことが裏目に出て、株式評価額は想像以上に高騰していた。相続税だけで数千万円にのぼる。手元の現金ではとても払えない。会社の株を手放すか、自社ビルを売却するか、あるいは廃業か——。長男として会社を継ぐつもりだった和也にとって、どれも受け入れがたい選択肢だった。

そこで税理士が示したのが「特例事業承継税制」だった。非上場株式にかかる贈与税・相続税について、一定の要件を満たせば納税を100%猶予できるという制度である。和也は代表取締役に就任し、都道府県知事の認定を受けたうえで、あらかじめ提出していた特例承継計画に沿って手続きを進めた。数か月にわたる書類作成と専門家とのやり取りを経て、無事に納税猶予の適用を受けることができた。猶予される税額は数千万円。実質的な負担はゼロに等しく、和也は胸をなでおろした。

しかし税理士は、ここで表情を引き締めて釘を刺した。「猶予はあくまで“猶予”であって、免除ではありません。承継後五年間は、代表者であり続けること、雇用を一定程度維持すること、株式を保有し続けることなど、いくつもの『事業継続要件』を守り続ける必要があります。これを一つでも破ると、猶予されていた税金に加えて、猶予されていた期間分の利子税まで、まとめて一括納付することになるのです」。和也はそのときは軽く聞き流していたが、この言葉の重みを、承継から三年目に思い知ることになる。

きっかけは、取引先の大手部品商社からの誘いだった。資本業務提携の話が持ち上がり、相手先は田村精工の株式の一部譲渡を条件に、まとまった額の出資と新規案件の発注を申し出てきた。会社の成長にとっては願ってもない話だった。だが顧問税理士に相談すると、顔色が変わった。「株式を一部でも譲渡すれば、事業継続要件に抵触し、猶予は即座に打ち切られます。利子税は年0.4%前後とはいえ、猶予額が大きいぶん、通算すると数百万円単位の負担になりかねません」。

和也は眠れぬ夜を過ごした。会社を成長させたい思いと、納税猶予を守りたい思いが真っ向からぶつかった。税理士とともに、「一部の譲渡でも要件違反になるのか」「合併や会社分割といった別の再編スキームなら、猶予を維持したまま資本提携に近い効果を得られないか」を徹底的に検討した。数週間にわたる交渉の末、出資は株式譲渡ではなく新株予約権付き社債の引き受けという形に組み替えることで、相手先の合意を取り付けた。猶予は継続され、和也はようやく安堵の息をついた。

この一件を経て、和也は理解した。特例事業承継税制は、税負担をゼロにしてくれる魔法の制度ではない。経営の自由度と引き換えに、納税を先送りしているにすぎないのだ。五年間、そしてその後も株式を保有し続ける限り、いつ猶予が打ち切られてもおかしくないという緊張感と、経営者はずっと付き合い続けなければならない。

それ以来、和也は経営判断のたびに、まず顧問税理士に一本連絡を入れることを習慣にした。増資、資本提携、役員体制の変更——会社を前に進めるための決断が、思わぬ形で納税猶予の要件に触れることもある。父から受け継いだのは会社だけではない。数千万円もの税金と、五年、あるいはそれ以上続く緊張感もまた、和也が背負うことになった相続財産の一部だった。

学びのボックス


特例事業承継税制とは非上場株式にかかる贈与税・相続税の納税を、要件を満たせば100%猶予できる制度。都道府県知事の認定と特例承継計画の提出が前提となる。
主な適用要件後継者が代表取締役に就任すること、特例承継計画をあらかじめ提出し認定を受けること、株式のすべてを承継することなど。
事業継続要件(承継後5年間)代表者であり続けること、雇用を一定程度維持すること、株式を継続保有することなど、複数の要件を守り続ける必要がある。
要件違反のリスク要件を一つでも破ると猶予は打ち切られ、猶予されていた税額に加えて猶予期間分の利子税まで一括で納付することになる。
実務上の注意点増資・資本提携・M&A・役員体制の変更など経営判断を行う前には、必ず顧問税理士に要件への影響を確認することが欠かせない。

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