[学ぶ・知る] エンディングノートを書いた父が残したもの[相続のお話]

エンディングノートを書いた父が残したも

林健一(72歳)がエンディングノートを書き始めたのは、友人の葬儀で遺族が苦労している様子を間近で見てからだった。

通帳がどこにあるかわからない、保険に入っているかどうかもわからない、葬儀の希望を誰も聞いていなかった——友人の家族はそうした問題に一つひとつぶつかりながら、悲しみの中で手続きをこなしていた。健一はその姿を見て、自分はそうならないようにしようと静かに決めた。

妻の和子(69歳)には「縁起でもない」と最初は言われた。でも健一は、「俺がいなくなったとき、お前や子どもたちが困らないようにしたいんだ」と静かに説明した。和子はそれ以上は反対しなかった。

ノートには、預貯金の口座一覧と支店名、生命保険の証書の保管場所、不動産の権利証のある引き出し、加入している医療保険の内容を書き出した。証券口座も一つあったので、ログイン情報は別紙に書いて封筒に入れ、ノートに「別紙あり」と記した。現金の保管場所も、和子だけに口頭で伝えた。

葬儀についての希望も書いた。「派手にしなくていい。近しい人だけで」「お花は白いものを」「戒名は不要」。些細なことかもしれないが、こうした希望を書いておくだけで、遺族が悩む時間と労力を大きく減らせると思った。財産の分け方については、長男の拓也(44歳)と長女の奈々(41歳)に等分にするつもりだと書き、和子が生きている間は実家に住み続けられるようにしてほしいという希望も添えた。

ノートが完成したとき、健一は家族全員を呼んで内容を一緒に確認した。

「お父さん、こんなに細かく書いてたの」と奈々が目を丸くした。

「株の口座、初めて聞いた」と拓也も驚いた。

「俺もちゃんと話してなかったからな。これを機会に全部伝えておきたかった」と健一は言った。

後日、相続専門の事務所に内容を見てもらった。担当者から大切な点を指摘された。

「エンディングノートは気持ちの整理にとても役立ちますが、法的な効力はありません。財産の分け方や不動産の名義変更については、正式な遺言書を別に作成しておくことをお勧めします。遺言書がない場合、不動産の相続には相続人全員の署名・実印が必要な遺産分割協議書が必要になります。一人でも同意しない相続人がいると、手続きが止まってしまいます」

「遺言書にもいくつか種類があると聞きましたが」と健一は尋ねた。

「自筆証書遺言は費用がかかりませんが、書き方に不備があると無効になります。公正証書遺言は公証人が関わるため改ざんのリスクがなく、家庭裁判所での検認手続きも不要です。費用は財産の額によりますが数万円ほどで、残された家族の手間を大きく省けます。エンディングノートと組み合わせることで、気持ちと法律の両方をカバーできます」

健一はその言葉を受け、公証役場で公正証書遺言を作成した。内容はエンディングノートに書いた希望と同じだ。エンディングノートで「気持ち」を、遺言書で「法的な意思」を、両方残せた気がした。

その夜、和子がぽつりと言った。「私も書こうかな、エンディングノート」

「一緒に書くか」と健一は言った。二人で同じテーブルに向かって、それぞれのノートを開いた。外は静かで穏やかな夜だった。

準備をすることは、死を恐れることではない。大切な人への最後の気遣いであり、今の暮らしをもう一度丁寧に見つめ直す機会でもある。家族の笑顔を思い浮かべながら、健一はゆっくりとペンを走らせた。

この記事で学べること


【この記事で学べること】

エンディングノートには法的効力がありません。財産の分け方や不動産の相続については、別途「公正証書遺言」を作成しておくことで、家族の手続きが格段にスムーズになります。

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