[学ぶ・知る] 母の付箋が、最後の手紙だった[相続のお話]

母の付箋が、最後の手紙だった

辻村真紀(49歳)は、母の死から二ヶ月が経っても、実家の片付けに手をつけられずにいた。

仕事が忙しいこともあったが、それよりも、踏み込む気持ちになれなかった。母が長年一人で暮らした家には、母の時間がそのまま残っている気がして。使いかけの石けん、丁寧に折りたたまれたエコバッグ、冷蔵庫のドアに貼られた買い物メモ。どれも、すぐには捨てられなかった。

弟の達也(45歳)から「そろそろ動かないと」と連絡が来た。相続の手続きには期限があるものもある。真紀は重い腰を上げ、週末に実家へ向かった。

タンスの中、押し入れの奥、引き出しの隅。探しながら、真紀は母がいかに几帳面な人だったかを改めて知った。通帳は三冊まとめてクリアファイルに入れられ、保険証書にはそれぞれ付箋が貼ってあった。「満期日」「受取人」と、小さな字で書き添えられていた。いつ準備したのだろうと、真紀は目頭が熱くなった。

ただ一つ、見つからないものがあった。生命保険の証書が一冊、どこを探しても出てこない。

保険会社に問い合わせると、「契約照会サービス」を案内してもらえた。被相続人が契約していた保険の有無を、相続人が照会できる制度で、生命保険協会が窓口となっている。必要書類を揃えて申請すると、数週間後に回答が届いた。母はもう一本、真紀も達也も知らない保険に加入していた。受取人の欄には、二人の名前が並んでいた。

「お母さん、こんな保険も持ってたんだね」と真紀は驚いた。

「俺たちのために入ってたんだ」と達也は静かに言った。

相続専門の事務所に相談すると、担当者から大切なことを教えてもらった。「生命保険の死亡保険金は、受取人が指定されていれば相続財産にはなりません。受取人固有の財産として、遺産分割の対象外になります。ただし、相続税の計算では非課税枠を超えた分が課税対象になります。非課税枠は、法定相続人の数に五百万円を掛けた金額です。請求を忘れてそのままになっているケースも少なくありませんので、契約照会サービスでもれなく確認することが大切です」

真紀と達也は手分けして手続きを進めた。保険金の請求、預貯金の解約、不動産の名義変更。一つひとつは小さな作業だったが、積み重なると膨大だった。それでも、母が残してくれた几帳面なメモのおかげで、迷う場面は少なかった。何がどこにあるか。何のために入ったか。小さな付箋の一枚一枚が、娘たちへの手紙のようだった。

母が用意してくれた付箋には、単なる情報以上のものが込められていた。娘たちが迷わないよう、困らないよう、ひっそりと準備してくれた愛情が、そこにはあった。

片付けが一段落した夕方、二人は母が好きだった縁側に並んで座った。庭の木が風に揺れている。

「お母さん、ちゃんと準備してくれてたね」と達也が言った。

「うん。私たちもそうしなきゃな」と真紀は答えた。

相続は突然やってくる。でも、残された側の負担は、準備一つで大きく変わる。真紀はそのことを、母から最後に教えてもらった気がした

この記事で学べること


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生命保険の死亡保険金は受取人が指定されていれば遺産分割の対象外ですが、相続税の非課税枠(法定相続人数×500万円)を超えると課税対象です。加入状況が不明なときは生命保険協会の「契約照会サービス」が活用できます。

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