[相続のお話]未成年の子供がいる相続のねじれ

未成年の子供がいる相続のねじれ


「先生、子供たちの代わりに私が署名すればいいんですよね?」

司法書士の岸本先生の前に座った村田愛(三十八歳)は、そう問いかけた。夫・村田誠一が急性心不全で急逝してから三ヶ月。二人の子供——小学三年生の蓮(八歳)と一年生の花(七歳)——を抱え、愛は相続手続きを一人で進めようとしていた。

「実家の名義変更をしたいんです。夫名義の家を、私の名義に変えて、子供たちが安心して暮らせるようにしたい」

しかし岸本先生は、静かに首を横に振った。「愛さん、お母さんが子供たちの代理人になることは、この場合できないんです」

「利益相反」という法律の壁

「どういうことですか」と愛は困惑した。

「遺産分割協議は、相続人全員が参加して行います。今回の相続人は愛さん・蓮くん・花ちゃんの三名です。お二人のお子さんは未成年なので、通常は親権者である愛さんが代理人になります」

「では私が三人分署名すれば……」

「それができないんです。愛さんが自分の取り分を増やすと、子供たちの取り分が減る。つまり、愛さんと子供たちは遺産分割において『利益が相反する』関係にあります(民法八二六条)。利益相反の場合、母親が子供の代理人を兼ねることは法律で禁じられています」

愛は初めてその事実を知った。「では、子供たちの代わりに誰が協議に参加するんですか」

「家庭裁判所が選任する『特別代理人』が、それぞれの子供の代理人として協議に参加します」

特別代理人の選任手続き

「家庭裁判所に申立てが必要なんですか」

「はい。愛さんが親権者として、子供たちの住所地を管轄する家庭裁判所に『特別代理人選任申立書』を提出します。申立て人は愛さんで構いません」

「どれくらい時間がかかりますか」

「書類が揃えば、審判まで通常一~二ヶ月程度です。急ぐ理由がなければ、丁寧に準備を整えてから申立てた方がスムーズです」

「特別代理人は誰がなるんですか」

「愛さんが候補者を推薦できます。親族でも、弁護士や司法書士などの専門家でも構いません。ただし、今回は子供が二人いるので、二人の代理人が同じ人物でも利益相反が生じないか確認が必要です。蓮くんと花ちゃんの相続分が同じであれば、一人が両方の代理人を兼ねることも可能です」

「協議書案」が審査のカギ

「申立てに必要な書類は何ですか」と愛は手帳を取り出した。

「戸籍謄本一式に加えて、重要なのが『遺産分割協議書案』です。申立て時に、今後どのように遺産を分けるかの案を提出する必要があります。そしてこの案の内容が、家庭裁判所の審査のポイントになります」

「どんな内容なら通りますか」

「子供たちの法定相続分が確保されていることが重要です。愛さんの法定相続分は二分の一、蓮くんと花ちゃんは各四分の一です。子供の取り分をゼロにしたり、著しく少なくする内容は認められにくい。今回は、実家は愛さんが取得し、子供たちには代わりとなる預金を確保する、という形を提案しましょう」

愛は岸本先生と一緒に協議書案を作り上げた。申立てから六週間後、家庭裁判所は専門家(司法書士)を特別代理人に選任した。

子供たちのために

特別代理人が参加した遺産分割協議は、書面でのやり取りを経て成立した。実家は愛の名義になり、子供たちそれぞれの法定相続分に相当する預金が確保された。

「煩雑でしたが、やって正解でした」と愛は岸本先生に言った。「子供たちが大きくなったとき、ちゃんとした手続きをしてよかったと思ってくれると信じています」

利益相反という言葉は難しく聞こえる。しかしその仕組みは、子供を守るための制度だ。親が子の名前で署名できないからこそ、子の権利は守られる。手続きの手間は、子供への愛情の証でもある。

学びのボックス:特別代理人選任のポイント


利益相反とは親権者(母)と未成年の子が同じ遺産分割協議に参加する場合、母の取り分が増えると子の取り分が減るという関係になる。これを「利益相反」といい、母が子の代理人を兼ねることはできない(民法826条)。
特別代理人とは利益相反が生じる場合に、未成年の子のために家庭裁判所が選任する代理人(民法826条2項)。親族や弁護士・司法書士などが就任し、子の利益を守る立場で遺産分割協議に参加する。
申立ての手続き親権者(母)が子の住所地を管轄する家庭裁判所に「特別代理人選任申立書」を提出する。添付書類として遺産分割協議書案・戸籍謄本などが必要。審判まで通常1〜2ヶ月かかる。
協議書案の重要性申立て時に「遺産分割協議書案」を添付する必要がある。この案では、子の法定相続分が確保されているかが審査のポイントになる。子の取り分をゼロにする内容は認められないことが多い。
子が成人後の選択肢特別代理人によって成立した遺産分割は有効。ただし子が成人後に内容を争う余地が残る場合もあるため、子の法定相続分を十分に確保した内容で協議書を作成することが重要。

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